PUAとしての現在。与太話

人間に多面性と複合性があるように、僕にもある。

 

他人にもあり、僕にもある。

 

コロナ禍である。

 

僕も、よい歳になった。

 

だがPUAとしてまだまだ終わるつもりなし。進化する。

 

コロナもそうであるが、いつの時代も危機は、その人の本性と、能力をすべて顕在化させる。

 

危機は、無能のその無能っぷりを、有能のその有能っぷりをみせる。

 

しかし、僕の前職の連中などは、危機になるとほぼ全員が、その無能を顕在化させ、噴飯ものであった。

 

それで、自分はそうなってはだめだと思い、自戒の日々を送っている。

 

さて圧倒的なスト値が、あらゆる女を魅了することを僕は知っている。

 

メディアや、ネットにはひとつの使命がある。

それは洗脳だし、大衆の操作、支配である。権力は、支配し、操作しようとする。

 

学校教育は、凡人にまともな暮らしをさせるための職業訓練の場である、ともいえたが、

 

一方で、権力に都合のよい去勢された白痴をつくりだす装置、ともいえる。

 

ルッキズム、などと批判されるが、審美眼、美醜は人間の根源的なものであるだろう。

 

美しいものに生命としての強さと、有能さを感じ、醜いものに、生命としての弱さと、無能さを感じるそれは、そうなのだろう。

 

現実を歪めてはならぬ。

 

認知を歪めてはならぬ。

 

女も男も、美しいことや強いことは価値であり、醜いことや弱いことは無価値である。

 

メディアはこれを隠そうとし、みな平等などと宣伝して、収益をあげ、果実をすべて独占する。

テレビなんかみたらだめだ。