性欲と情熱と社会

情熱の所在とは。

 

性欲がその中核的原動力になって、ピックアップ活動に躍起になる。

 

僕もそうだ。

 

性欲は、禁断の燃料である。

 

このおそるべき燃料は、石油なんて比べることができないほどだ。

 

生殖、女を妊娠させるための、その遺伝子の勢いにのった自分が、この燃料の前ではあらわれるのだ。

 

性欲の爆発的活力を、僕は意識的に使ってもいる。

 

禁欲である。

 

それはたしかに爆発的活力をうむのだ。

 

核燃料が、その扱いを間違えるとメルトダウンに至るように、性欲もまた同じである。

 

この禁断の魔力の扱いをま違えると、たとえば犯罪へとつながるだろう。

 

がまんできなくて、性犯罪に及んでしまったり、どこそこでセクハラなどしてしまうのだ。

 

いったいが、このピックアップには、社会性があった。

 

僕はただ性欲のためにピックアップをしているんではなかった。

 

かつての自分、女を十分に得ることができず、愛されもせず、といったその自分を、どうにかして克服し、かつてなかった、女からの愛を得る、そのためだけではなかった。

 

女を牛耳るためでもなかった。

それもあるが、それだけではなかった。

 

社会性を知ること、社会を知るための手段でもあった。

 

しかし、この社会を知ることが、より多くの女を得る、その手段でもあるのかもしれない。

 

となれば、やっぱり僕は、性欲によって支配された人なのである。