純粋理性批判が読めてもモテないとすべてが駄目

モテる、モテないについて思いつくままに再び書いていく。

どんな難解な話も政治哲学や思想も、ただただ実生活においてモテること以上ではない。

どんなに難解な現代思想やら経済学の理論やら理解し、それを自分の言葉で表現できる、との現代社会において優位な能力をもっていたとしても、異性にモテないことにはなんの意味もない。

この考えは真実であるはずだ。

だが実社会ではこういうことは言ってはならない。

モテないやつはすべてが駄目とはいってはならない。

どうしてか。

生まれながらの非モテがいるからだ。

この文明社会は一見するところの公平性を大切にするとの建前で成っている。

そんな建前、建前とはつまり社会保障だってそうだ。

ほんとうは不要な、老人や病人に、税金をあてがおうとするそれは、建前であり、嘘だが、文明社会は人道主義でもあるから、社会保障をしないわけにはいかない。

不要な老人や病人ではなく、未来ある若者に税金を投入しようとは誰もいえない。

それは現代の人道主義的社会ではタブーなのである。

表面上はそうなのだ。

共存共栄の社会なのであって、そのように社会保障も税の仕組みも構築されている。

それが共存共栄の原理原則の現代社会の論理なのである。

だが、ほんとうにそうだろうか。

実際には、実際の生活では、実際の人生では、そうだろうか。

共存共栄だろうか。

もちろん、すぐにそれは違う、それは嘘だとわかるだろう。

特にピックアップ界隈に在籍する者は、嘘を見抜く能力に長けているはずであるから、それが嘘だとすぐにわかるだろう。

自由恋愛を考えて見ればすぐにわかることだ。

美に恵まれなかったり、財力がなかったり、知的に劣等生であったり、のろま、鈍くさかったりすると、異性に選ばれない。

モテない。女に見向きもされない。

女は弱くて、無能な男には心身を預けないのである。

弱くて無能で、美しくない男には見向きもしないのである。

強くて有能で美しい男が、女を総取りする。

こんなことが、現代では、特に、自身の販路を爆発的に拡大できるネットの存在が、革命的にかえたのだ。

ネットがインフラとなった現代では、この下部構造によって、すべて人間は支配される。

つまり、勝者総取り。

モテる男は無限にモテて、何十人、何百人の女を牛耳れるのである。

そしてモテない男は、ブスであっても女にありつけないとの事態が生起している。

ネットのインフラ化は、自由恋愛の市場を著しく拡大した。尋常でなく拡大したのである。

それでなにが起きたかというと、勝者総取り、モテる男がモテ続け、モテない男は、死ぬまでモテないとの世界である。

だが、子どもを残すことのできる者が、厳選されていくことは、ひょっとしたらなにごとかパラダイムシフトを起こるかもしれない。

モテない者が子孫を残すことのできない社会は、モテる遺伝子が、つまり魅力的な遺伝子だけが残っていくということなのかもしれない。短絡的だが、一面の真実であると思う。

恋愛工学の一流派であると僕は認知しているが、あの聖帝サウザ氏が、幾度も口外していた

ことを思い出す。

金があろうと時間があろうと、モテないと男の人生はなんの意味もない。

ではまた!