アイドル好きの男女

アイドル好きについて。

 

アイドル好きの女とは付き合うな。

 

アイドル好きの男とは関わるな。

これが僕の家訓である。

僕が考えた家訓である。

 

アイドル好き。

 

どこにでもいる、この人種。

 

僕はかつてアイドルの熱心なファンであったことはなく、また、これかも特定のアイドルの追っかけらしきことはしないだろう。

 

男女問わず、アイドルファンに共通するのは、その性的魅力の欠如であるが、これはもっと分解して考える価値のあることであるように思う。

 

モテないから仮想の現実、妄想の世界に生きて、それでアイドルファンやアニメファンになる、つまり、思い通りにいかない現実を生きるための麻薬あるいは処方薬としてのアニメ、アイドルを消費している、との見方である。

 

僕個人のことをいえば、極端なアニメファン、アイドルファンとは、どうしてか気が合わない。

価値観と世界観と、コミュニケーションがあわない。

 

僕が最も敬愛するのは、ギャルであり、ギャル文化圏であり、男であれば、ややチンピラに寄ったような、派手で男らしい、暴力の匂いのする文化圏である。

 

どうしてか、僕はこういうものが好きで、こういう人種が好きなのである。

 

そこにいくばくかの知性があれば、それはもっと好きだ。

 

隠しきれない知性と野性のある、ギャル、チンピラ。

 

対して、男らしくない男、峰不二子的女らしさのない女、森ガールとか、性的な匂いが消臭された人種が、僕はどうしても苦手で、魅力を感じないのである。

 

男であれば、男くさい感じが大好きだ。

 

男の色気のある、男くさい感じ。

 

任侠に生きるような男が好きである。

 

このギャルも、任侠の男も、現実の世界を生きているのである。

 

アイドルオタクや、アニメオタクは、僕にはどうしてもそう思えないのである。

 

この血の流れる、現実を生きている人間が好きで、その人間、二次元や、テレビの中に飾られたものよりも、生身の、妬み恨み、ズルく、愚かな、愛らしい、大義に死に、嘘で生き延びる、そんな糞をたれて尿を排出し、臭い、生身の人間が好きなのだ。

 

嘘にまみれ、世間語にまみれていると、ピックアップの世界の、女のあの露骨な反応がすべてたまらない。

 

その、ほんものの嘘のない現実がたまらない。

 

ナンパは自傷行為であるといった人がいる。

 

僕にとってはそうではない。

 

数少ない、真実の行動、真実の瞬間をみることのできる時間なのである。

 

現実を生きていない人間、モテない自分、無能な自分、孤独な自分

 

もっといろんな人から好かれて、人気者になりたい自分

 

ほんとうはそうなのだ。

 

人気者になって、自分にしかできない仕事をして、社会的にも認められて、女性からは愛され求められ、美女たちから交際や結婚を暗にせがまれる。

 

それを多くの人は求めている。

 

だが決してそうはいかない現実と、美しくない容姿を鏡の中に見て、どうみても無能な自分の仕事ぶりに絶望し、好かれようとしても相手にされず、軽んじられる、その人生の現実があまりに肉迫する。

 

そのときあなたはどうするか。

 

そのときのあなたの選択肢は、ひょっとしたらあなたが考えているよりもずっと少ないのかもしれない。

 

その現実を打開するために、何年かかったとしても、自己鍛錬の道にすすむか。

 

その現実を変化させることを諦め、別な世界に居場所をみつけだすか。

 

このふたつなのかもしれない。

 

そして、僕は自己鍛錬の道を選んだ。うまくいってはいないが。

 

そして、後者を選んだ非挑戦者たちと、話す言葉を、僕は持たないのだ。

 

長く苦しい道を選べ。

 

逃げるな、自己鍛錬の道を選べ。人間と向かい合え。