さみしさとPUA

さみしさとPUA。

 

さみしいからピックアップ活動をしているのかもしれない、と話していた人がいて、僕の脳にはずっとその言葉がとどまっている。

 

人間のもつ寂しさの協力な磁力を、僕は知らないわけではない。

 

人間の持つさみしさ。

 

さみしい人間はモテない。

 

なぜさみしいか。

 

まわりに人がいない。孤独である。誰も自分という固有の存在をみてくれない。

 

誰にとっても自分はその他大勢である。

 

誰かにとって、できれば多くの人にとっての特別な人間になりたい。

 

それがうまくいかないとき、人は、さみしい、と感じ、さみしい人間、になるのだ。

 

さみしいと思っていることが露見している人間。

 

構ってほしいと思っている人間。

 

つまり非モテ非モテ非モテゆえにモテないのだ。

 

モテる人間はよりモテて、モテない人間はますますモテなくなる。

 

どうあっても、男が男でいるためには、修羅の道を歩まねばならない。

 

さみしさが漏れ出ていては女は寄ってこない。女は強くて聡明で美しい男で、他の女が

 

競って獲得しようとする、人気の男性をより好むのである。

 

ある種のブス。女の底辺のようなブスは、自身の安全のために、非モテと結婚したりするが、

いい女ほど、男くさい、強い男を選ぶのだ。

 

ブスほど弱い男を選ぶが、それは、ブスはいい男に相手にされないので、必要から弱い男で

手打ちにしている、妥協しているというそれだけなのだが。

 

今、僕にもやはりさみしさが醸し出されている。

 

ニューノーマルの世界で女のストックが減り、僕もさみしい男になっている。

 

がっついた、非モテになっている。

 

そんな気がしたりもする。

 

パラダイムシフトが必要なのかもしれない。

 

ではまた。