よいPUA同志、ウイングに巡り合うことについて。

よいウイング、よいPUA同志に巡り合うことについて。

 

僕はこの活動に至り、コンビ、ソロもたくさん経験してきた。

 

もちろん僕はPUAの本気クラスタではないので、一般的にいえばたくさん経験してきた、という意味だ。

 

完ソロという技法がある。完ソロというスタイルがある。

 

完ソロは、実地で鍛錬をするものである。

 

ボクシングでいえば、練習試合や試合をするようなものである。

 

だが、ソロなのだ。

ただ、たった一人で戦い、たった一人でその試合の分析と、勝因と敗因と考察しなければならないのだ。

 

独学である。テキストや、ネットによってこの独学をやることはできるだろう。

 

だが、やはり独学なのである。

 

独学で世界王者になったボクシングのチャンピオンはいるだろうか。

 

よいトレーナーがいたはずだ。

 

よき師がいたはずだ。

 

その選手の能力をひきだし、コーチングのスキルを使い、著しく成長させた者がいるのだ。

 

ソロは無限に独学であるが、コンビはそうではない。

 

コンビナンパは、ライフハックだ。

 

名ウイングは、すばらしいフィードバックにより、すばらしい学びを与えてくれる。

 

ぜったいにソロでは得られぬ成長である。

 

そして、我々はtaker(クレクレ君)であってはならぬ。

taker(クレクレ君)こそ非モテであり、孤独死へまっしぐらだ。

 

非モテはtakerである。

 

人に与えることのできない人間は、誰からも相手にされぬのだ。

 

その人と一緒にいてもなんの学びも成長もないとなれば、誰も一緒にいたいとは思わないだろう。

人間関係もコンビも、与え、与えられるものである。

 

互いが互いを成長させるのだ。

 

忌憚のないフィードバックと、トークの連携などはそのスキルである。

 

ただ、この界隈、僕にも苦々しい思い出があるが、taker(クレクレ君)と、自分がセックスすることしか考えていない者が多いこともまた事実である。

 

takerと自分優先型の人間とはほとんど同じ類型であるが、このタイプとの合流はほんとうに

非推奨である。

 

大変に不快な思いをすることは請け合いだからである。

 

takerは上質な女と長期的に関係を続けることができないが、それはすべて自己中心性によるものである。

 

自己中心性の病を病んでいる者は、やはりモテないし、愛されないのだ。

 

自己中心性と他者中心性とのたえざる葛藤の中に、人間の魅力とは輝くのである。

 

PUAの同志を大切にしよう。

 

それは自分のためにも、共栄してゆく同志のためにもである。

 

信義、友情を簡単に反故にする男は、女のみならず、男からももてず、やがてやってくる孤独な死を免れないだろう。

 

ではまた!