付き合わないとしないグダ

PUA界隈の者が、何度も遭遇するであろうグダ。

 

「付き合わないとしないグダ」について。

 

もう僕もいったい何度このグダに遭遇したであろうか。

 

というのは嘘で、実は、たぶんこのグダに遭遇したのは、4、5回だったかと思う。

 

僕はPUAとしては、三流で、経験人数も三桁には及ばず、決して「凄腕」と言われる階層にいる人間ではない。

 

さて、この「付き合わないとしないグダ」についてである。

 

認知心理学の用語に、スキーマなるものがある。

 

スキーマは、認知構造のことを指す用語であって、「意識の深いレベルにあるその人の信念や、深い思い込み」のことをいう。

 

「付き合わないとしないグダ」を発生させる女には、「付き合ってないのに肉体関係を持つのはふしだらである」「大切にされていない」「軽い女と思われなくない」などのスキーマがある。

僕が、ぱっと推測できるのはこの程度のスキーマだが、この他人のスキーマをどれだけ予想、想像できるかが、ピックアップの成功率を変えるのだと思う。

 

「付き合わないとしないグダ」を発生させる女達は、総じてイイ女ではない、というのが僕の経験則である。

 

イイ女、はそんなつまらない言語表現にこだわらない。

 

イイ女ほど動物的な直感というか本能が発達しているので、ノンバーバルによって恋をしたりする。

 

言語表現によって決定的に行動を変化させるのは、決まってつまらない文明に毒された量産型の女なのだ。

 

量産型の女は、思考まで量産型なのである。

 

「つきあわないとしないグダ」女※以下「つきグダ女」

の内在的感情・論理とはいかなるものか。

 

まず、この手の女が、交際していない男女はセックスしない、とのスキーマを持っている蓋然性が高い。

スキーマとは、その人物の世界観と価値観が混ざりあったものなのであろう。

 

するとこの手の女の世界観とは、付き合っていないとセックスはしてはならないとの世界観なのだ。

 

そしてそんな、交際していないとセックスしてはならないなど、現代における迷妄のひとつなのである。

 

一夫一妻制の迷妄であり、農耕社会の迷妄であるのだ。

ひとりの男、それも有能な男を確保し担保するための、女の生存戦略である。

そもそも「つきあわないとしない」などと宣うことそれ自体が、かなり恥ずかしいことである。

 

だが、この「つきグダ女」たちはこの種の羞恥心をもっていない。

この「つきあわないとしない」は、裏をかえせば、「付き合ってほしい」とのサインなのである。

 

ちゃんと好意と愛を告白してから、セックスに誘ってほしい、ということを、ノンバーバルで表現してしまっているのだ。

 

高学歴でしかも知的好奇心の旺盛な女は、こんなことを言わない。

 

たた、それでもある回避方法としての「つきグダ」もあるだろう。

たとえば、僕がある種の地雷女を敬遠したいがために、この反対の、量産型でかつ知的劣等生である男を演じるとする(別に自分は知的優等生ではないけど)。

 

「俺はちゃんと付き合ってからじゃないとそういうことしないんだよね、だから○○ちゃんとはセックスしないよ」

などと言う場合である。

 

僕は、こんなふうに面倒な男や、つまらない男を演じて地雷女を遠ざけることがよくある。

これは、女関係において非常に重要なやり方だ。

 

つまり、女をフッてはいけないのだ。

 

ほんとうに関係を断ち切りたい女には、自分に失望させ、その女自ら関係を断つように仕向けるのである。

 

こんな地雷異性回避方法として「つきグダ」を使ってくる女もいるだろうが、それは稀で、ほとんどは、あるスキーマによる、自動的な言葉として、「つきグダ」を口にするのだろう。

 

この「つきグダ」を口にする女の社会階層と、モテの階層も特徴的であると思う。

 

決して知的に高水準でなく、決してモテるわけでない女の一類型が、「つきグダ」を口走る。

 

さて、今日もこんな感じで、結論もなく、論理展開もまったくの途中で放り出す。

 

ではまた!