手持ちの札が少ないと判断を誤る。

手持ちのカード(女)の少なさと、執着について。

 

稀代の異才、チバ氏のブログにも記載があるが、女の連絡先の流入が途絶えない状態を作れとの教示である。

 

ただ、ごく単純なことであるのだ。

 

未知の女、まだ寝ていないが、寝てみたい女の、手持ちの札のことである。

 

この簡単な、手持ちの札が多ければ多いほど余裕がでて、一人のつまらない女に執着しなくなる、との対処が、僕はできていないのだ。

 

稀代の異才。チバ氏。

ナンパブログの頂点にたつのがチバ氏ではないかと思っている。

 

僕は、熱心なナンパブログの読者ではないけども、チバ氏のブログは、その守備範囲の広さと、常識人でありながら、光彩陸離たる戦績を持つであろうチバ氏こそは、異才であるといえる。

 

マインドブロックを外して、突き抜けて、異常者になり、非常識人となって戦績を上げるナンパ師は多いだろうけども、僕の憧れ、そうなりたいと思うのは、常識人であって、かつ、極めて優秀な戦績をあげることのできる、そういう男なのである。

 つまりβ擬態のできる、変身のできる、振り幅のある男

そんなPUAになりたいのである。

 

だから、突き抜けて、キチガイぶってしまった者。常識人のふりをすることをやめた戦士は、ちょっと僕の目指すべきところとは違うのである。

 

しかし、いったい、手持ちの札がこんなに枯渇するとは思わなかった。

 

これは僕が、本命と同棲しているためもあり、社会人として、負うべきでないリスクが、コロナ禍によって肥大してきた、ということがあるだろう。

 

僕は別に倫理に縛られるつもりもなく、社会通念が正義とも思っていない。

 

別に善人などくそくらえと思い、アンモラル礼賛の精神であって、偽善や道徳が大嫌いな質だ。

 

だが、このコロナウイルスについては、全体利益に与する立場であって、自分は重症化しないから関係なくパーティーにあけくれるということはしない。

 

僕は道徳も洗脳たる儒教思想もきらいだが、共存共栄の現代社会の論理には、賛成なのだ。

 

暴力、戦争、それが、人間の本質であるという論には、一切反対をしないが、僕は、ある美しい子どもが、美しい笑顔を維持し、美しい女が美しい笑顔を維持できる社会の構成員たりえたいのである。

 

そこには、その論理は、つまり共栄の論理なのである。

 

女遊びは、もちろん僕の下半身の欲動のためのものであって、僕はただ、新しい女体と、膣と子宮とを求めているだけ、ともいえるのだ。

 

それは僕をピックアップに駆り立てる、最も大きな動機である、といえるだろう。

 

僕もまた個の利益を追求するあるものだが、それだけでは納得しない遺伝子をもっているのである。

 

僕の細胞は、共栄のない個の利益追求に、アレルギーをおこすのだ。

 

そんな大仰なことを言っても、僕は、久しぶりにLINE交換したスト値4の女に、執着したりする、ひとつの小さな、男なのである。

 

手持ちの札が少ない、いわゆる、「非モテコミット」の閾値が下がりきっているのだ。

 

ごく小さい農村で、たった一人の村娘に恋したり、「アナタハンの女王」のごとく無人島で、何人もの男が、たった一人の、醜女を巡って争うようなものなのだ。

 

手持ちの札が少ない場合、なにごとも、この非モテコミットを誘発しやすいのである。

 

それは、こと、女関係だけでない。

 

抽象度をかえれば、人間関係においてもそうでない、職業選択、ビジネスにおいてもそうである。手持ちの札が少ないとき、人は、容易に合理的でない判断、誤った判断に及ぶのである。

 

なぜ、LINEが返ってこないのか。。。。。