内省記:AV女優はあんなにきれいなのに、どうして自分はこんなC級の女を抱いているのか。

AV女優はあんなにきれいなのに、どうして自分はこんなC級の女を抱いているのか。

 

AV女優の美貌には舌を巻くばかりである。

 

一昔前は、AV女優はそんなに美人じゃなかった。

 

こんなに美人が増えてたのは、整形の一般化が原因であろう。

 

だが、整形が一般化しようと、モテ男は整形女には中だししない、との現実主義が訪れる。

 

どういうことか。

 

モテ男は、整形女の一面的な美貌に、ワンナイトや、セフレとしての価値を見出し、執心するだろう。

 

だが、中だしはしないのである。

 

中だしは、子を残すということであって、モテ男は、このとき、踏みとどまるのだ。

 

男たちも、女たちも、よりよい遺伝子を残すことを本能にプログラムされた一個の動物なのである。

 

生殖こそ真なり。

 

生殖のために、仕事をして、金なる価値を得て、よりよい女を得るのだ。

 

そこで、男はたしかに、セックスの相手であるとか、連れて歩くぶんには、整形女であろうと、ちっとも構わない。なぜなら美しいからだ。

 

それが人工の現代医療によって達成された美であっても、ちっとも構うことではない。

 

なぜなら、美しいからだ。

 

だが、結婚や、子どもを残すとなると、整形女とは子を残さないのである。

 

ここで、モテ男は、第一恋人、非整形の、遺伝子の強者である天然美女にたちかえるのである。

 

誰も、天然美女にはかなわない。

 

この天然美女は、遺伝子から美しいのであるから。

 

繁殖の段階で廃棄される整形女たちに、いったいどんな未来があるのか。

 

研究成果を待ちたいところである。

 

天然美女の価値は圧倒的だ。

 

男が、性格も知的にも優れる美女に、こんなに躍起になるのは、実に正当な行動なのである。

 

女が、強く美しく有能な男の精液を求めるのと同じで、自然なのである。

 

整形した女の子は、整形前の容貌の遺伝子によって繁殖することは、誰でも知っているからだ。

 

さて、AV女優はあんなにきれいで、そんなきれいなAV女優で日夜オナニーをしている男が、現実で相手にされるのはブス女でしかない、との現実があったときに、どう思うであろうか。

 

なんでこんなブスでセックスにおよばねばならぬのか、と思うはずである。

 

しかも、ブスはたいてい性格もブスであるから、その鬱陶しいつまらない性格に嫌気もさすだろう。

 

ブスだって長話を聞いてもらいたいという女一般の欲求をもっていて、ブス女と寝る男は、ブス女のつまらない話、それは日常の愚痴であったり、家族の悩みであったり、仕事の話であったり、恋愛観であったりするのだが、そのブスの、つまらない話を聞いてやって、それでセックスにありつくのである。

 

こんな事態に陥った非モテ男は、どう思うだろうか。

 

どうして俺はこんなブスのお経のようなつまらない話をきいてやって、しかも汚らしい乳首と弛んだ肉体とに勃起をさせて、ブスのおぞましい喘ぎ顔をながめて、渋々射精しなければならないのか、と思うのである。

 

もちろん、これは僕のことである。

 

僕は、今、かつてのように新しい女の流入が途絶えつつあって、非モテ化しているのだ。

 

僕の本命子は美人だが、どんな美人も何年も寝ていると、刺激はなくなってくるのである。

 

佐々木希を妻にもっても浮気ばかりしていた芸人のように、美人であっても、無限に飽きない、ということはない。

 

もちろん、美人であっても、という話で、ブスは、そもそも飽きるとか飽きないとかの前に、はじめの一夜がないことは、ここに明言しておくべきだろう。

 

さて、このコロナ時代にあって、非モテ化しつつある僕だが、この時代、冬の時代にしなけrばいけないことは、自分の価値を高めることであることはわかっている。

 

稼ぐ。見た目をよくする。トークスキルを鍛える。

 

そんなことはわかっている。

 

だが、たまには新しい女を抱かないと、鈍ってくる気がするのだ。

 

さてどうしたものか。

 

ではまた。